記憶には3つのプロセスがある
誰かと話をしていて、ある人のことを言いたいのに名前が出てこない。
他の人に名前を挙げられると、「そうそう、〇〇さん」と思い出す。
最近思い出していないこととか、以前にちょっと触れたことだと、まあ、こんな感じですよね?
思い出せるわけですから、記憶にしまってあるけれど、それを引き出せない状態と言えます。
記憶を細かく考えると、次の3つのプロセスがあります。
記銘:脳内に記憶を形成する、覚えるプロセス。
保持:脳内に記憶をとどめておく、覚えておくプロセス。
想起:脳内の記憶を引き出す、思い出すプロセス。
冒頭に書いたシーンは、記銘も保持もできているけれど、想起ができなかったわけです。
人は誰でも物忘れをします。
それが病的になったら、認知症と診断されます。
例えば、
「物忘れ」は、今朝食べた物を思い出せないレベル、
「認知症」は、食べたかどうかすら思い出せないレベル。
認知症にもいろいろな種類の病気がありまして、主な3つはアルツハイマー病、脳血管性認知症、レビー小体です。
アルツハイマー・マウスの記憶実験
先ごろ、認知症の一つであるアルツハイマー病でみられる記憶障害は、記銘・保持できないのか、それとも、想起できないのかを調べた実験が報告されました。
1987年にノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進 博士らのNature誌に掲載された研究成果です。
実験で使われたのは、ヒトではなくマウス。
アルツハイマー病に似た神経変性を示すマウスを使っています。
実験でマウスに記憶させたのは、「嫌な体験」。
箱の中で、マウスの脚にちょっと電気ショックを与えます。
マウスは電気ショックを嫌がって、すくみます。
すると翌日、それを体験したマウスは、その箱に入れられただけで、すくんでしまいます。
昨日の電気ショックを記憶しているのですね。
ところが、アルツハイマー・マウスでは、電気ショックを与えたときはすくみましたが、翌日はすくみませんでした。
記憶障害が認められたというわけです。
では、アルツハイマー・マウスは、「その箱」と「電気ショック」の関係を、記銘・保持できなかったのでしょうか?
それとも、記銘・保持はできているけど、想起できなかっただけなのでしょうか?
光遺伝学でアルツハイマー・マウスに思い出させることに成功
実験では、ちょっと高度な実験技術である、光遺伝学(オプトジェネティクス)が使われています。
光遺伝学とは、特定のニューロン(神経細胞)が光に反応して活動するように遺伝子操作することで、光のオンオフで思うようにニューロンの活動をオンオフできるのです。
脳の深いところにある領域の「海馬」は、記憶に関連深い脳領域の一つです。
マウスの脚に電気ショックを与えている間に活動している海馬のニューロンは、そのときの記憶に関係しているでしょうから、そのニューロンを光遺伝学の手法で標識しておきます。
正常なマウスの場合、電気ショックを与えたのとは違う箱に入れても、標識した海馬のニューロンを光でオンにすると、すくみ行動を示しました。
そのニューロンが、電気ショックの記憶を引き出したのですね。
一方のアルツハイマー・マウスでは、どうだったでしょうか?
正常なマウスと同様に、違う箱に入れられても、標識した海馬のニューロンを光でオンにすると、すくみ行動を示しました。
つまり、アルツハイマー・マウスは、電気ショックを記銘・保持できなかったのではなく、想起できなかっただけだと考えられます。
何度も刺激すると自然な形で想起できるようになった
また、アルツハイマー・マウスを電気ショックの箱に入れて、電気ショックは与えず、標識した海馬のニューロンを光で何度もオンにしてから、2日後に同じ箱に入れたところ、電気ショックなしで、すくみました。
記憶に関するニューロンを何度も光で何度も活動させたことで、記憶がしっかりと定着し、自分が置かれた状況だけで電気ショックが想起されたのです。
実験で使ったアルツハイマー・マウスでは、ヒトのアルツハイマー病で見られる老人斑はまだ見られなかったとのことですから、初期の段階だけの話かもしれません。
とは言え、病的な記憶障害を示したとしても、全く覚えられないとは限らず、想起が苦手なだけかもしれないということが分かりました。
そして、それにはどうやら脳の海馬が弱っているみたいだと。
日常生活では、光遺伝学の手法で海馬の特定のニューロンだけをオンにすることはできませんが、繰り返し覚えることと、思い出す機会を多く持つと、同じ効果が期待されます。
何度も繰り返したり、思い出す機会を多く持ったりというのを、認知症になってしまう前に普段から習慣付けたいですね。
【原論文】
Roy DS, et al. (2016)
“Memory retrieval by activating engram cells in mouse models of early Alzheimer’s disease”
Nature 531: 508?512
doi:10.1038/nature17172
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では、また!
(了)
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